さっぽろ天神山アートスタジオ 滞在アーティストと市民の交流企画
『鈴木悠哉小学校へ行く』
7月14日(木) 10時~15時 平岸高台小学校(豊平区)
内容 作品・活動紹介、児童との交流
◆滞在アーティストと市民の交流企画とは◆
さっぽろ天神山アートスタジオに滞在するアーティストと市民の交流を促進するため
アーティストが天神山を飛び出し地域や人に会いに行ったり、
市民がアーティストやアーティストの活動場所に積極的に出向いてゆく企画です。
担当: 小林亮太郎 連絡先: ryotaro@ais-p.jp 070-5288-5367
さっぽろ天神山アートスタジオによる「滞在アーティストと市民の交流企画」として
滞在アーテイストの鈴木悠哉さんが平岸高台小学校に訪れました。
中休み、昼休み時間に作品や活動の紹介を行いながら子ども達との交流を深めました。
その時の様子をブログでご紹介いたします。
(当交流活動は2016年7月14日に行われました)
・自己紹介&作品紹介の様子
・今まで見たことのない世界にたくさんの質問や意見が飛び交う
交流企画を実施後、鈴木悠哉さんから感想を伺いました。
「学校」という言葉を聞いて、なんとなく楽しいイメージを抱く子供と、なんとなくいやだなあ、
と感じる子供とだいたい2種類に分かれると思うが、自分は一貫して後者であった気がする。
今回20数年ぶりに小学校(平岸高台小学校)を訪問することになった。実際に行ってみると、
学校は自分の記憶のなかの学校のイメージとはだいぶかけ離れていた。
学校は、明るく、オープンな雰囲気に満ちていた。こどもが生き生きしている。
廊下を走り回っている。というより、廊下で運動ができるように運動マットも敷いてある。
中休みと昼休みの時間利用して、自分の作品や、今まで行った国の写真などでプレゼンテーションを行う。
果たして、自分がこどものときに、学校の中にこういうよくわからない時間があって、
よくわからない大人が来たらなにを思っただろうか。学校の授業はたいがい答えが決まっているし、
正しい答えを導き出すために知識を覚えている。だけど、このよくわからない時間はやはりよくわからないままだ。
だが、この世界に「よくわからないことがある」ということを許容することはとても大事なことなんじゃないだろうか。
(>とくに美術はその部分に大きく関わることだと考える)
学校のなかの様子も見せていただいた。時代は変わり、少子化は進んでいた。一学年は一クラスになっていた。
だが、そのことで先生と生徒の距離は縮まり、また生徒たち同士も親密なように見えた。
正直、この情報化社会の現代において、子供達の日常も昔ほど牧歌的なものではなくなっているのではないかと
推測していたが、そんな心配をよそに、一見したところ子供達はのびのびしている印象だった。
※平岸高台小学校は1年2年以外は1クラス学級。
・写真を見ながらこれまで訪れた様々な国の話をする鈴木さん
個人的に、一番驚いたのは校長先生だった。イメージのなかの校長とまったく違う。
話を聞くと、となりの特別支援学校などでも校長を兼任しているそうで、そういうマイノリティの視点から
ものを考える姿勢がうかがえる。(そもそも校長先生自身が学校嫌いだったそうだし。)
校長先生はひとまずえらい、という理由なき威厳みたいなものがひとかけらもない。
これはこの学校のほかの先生にも言えることだった。
先生はえらい、だからいう事を聞かないといけないという頭ごなしの教育スタイルがここにはみあたらない。
きちんと人間と人間の関係が先生と生徒のあいだにある気がした。
(もちろん、内情は様々な問題を抱えているとは思うし、その苦労を推し量ることはできないにしても)
※池田校長は「平岸高台小学校」と「のぞみ分校」の両校の校長を兼任している/2016年7/14現在
あと、校長先生のほうから(自分の作品のイメージを使っての)提案があったのも驚いた。
個人的にこういったオープンさ、自分たちにプラスになるものを積極的に受け入れる姿勢は
ヨーロッパの教育の感じに近い印象を受けた。
たしかに美術を取り入れた企画がこの学校では実現しやすいと感じる。
・様々な学年の子供たちが集まってくる
子供に関しても少人数制ということもあるのか、あぶれている生徒がいる感じがしない。
自分の小学校のときは1クラス40人、5クラスの大人数だったために、必ず孤立する生徒が居たものだった。
少なからずクラスに派閥が形成され、
子供ながらにその社交関係や権力のヒエラルキーのようなものが嫌いだった。
1クラスしかないので、クラスわけで人が入れ替わることがないというのは、
総じて良いことなのかもしれないと感じた。(まあ、これも一長一短だと思う)
あと、また個人的に衝撃だったのは英語の授業。軽く嫉妬を覚える。
授業はヒアリングとスピーキング重視のもの。中、高と英語を暗記科目として捉えていたために、
大人になって日本から出た時に苦労したし、いまも苦労し続けている。
こどものうちから学校で生の英語に触れるということはかなり重要な体験だと思う。
※ALT(外国語指導助手/ネイティブスピーカー)による会話の授業を見学した。
プレゼンは20分、20分の2回。※中休み、昼休み
なにを見せるかのプランは少しはあったにしても、プランを立ててもこどもの前では速攻覆されるのだな、
ということを悟る。逆にそれが面白さなのかもしれない。偶然性や即興性しかないのだと。
(鈴木悠哉/現代美術)
~企画を実施して~
今回、小学校への交流企画を実施したことで、
子ども達はアーティストに出会い、作品や活動の紹介を通じて
ものの見方や考え方、そしてこんな生き方もあるんだ、という体験をした。
また、参加したアーティストも小学校を訪れることで、今の小学校の姿や
子ども達・先生達に触れ、過去の経験を更新する機会になったのだと思う。
さっぽろ天神山アートスタジオでは、館内での交流事業はもちろんのこと
これからも出会いから生まれる、驚き、喜び、楽しみ、を積極的に作ってゆきたいと考えている。
さっぽろ天神山アートスタジオ 小林亮太郎